【McGREGOR マクレガー】ブランド徹底解説

アイビーリーガーたちが好んで着たカーディガン。キャンパスを颯爽と歩く彼らの姿に、マクレガーのタグがあった。1920年代、ニューヨークで生まれたこのブランドは、アメリカのスポーツウェア文化を形作った一つの存在だ。
マクレガーと聞いて、何を思い浮かべるだろうか。ドリズラージャケット、アンチフリーズジャケット。これらは単なる服ではなく、アメリカのカジュアルスタイルの歴史そのものだった。
今回は、スポーツウェアからアイビーファッションまで、アメリカンスタイルの変遷とともに歩んだマクレガーの物語を辿ってみたい。
1921年、ニューヨーク - スポーツウェアという新しい概念
1921年、ニューヨーク。デイビッド・ドニガーという男が、小さなニットウェア工場を立ち上げた。これがマクレガーの始まりだ。当時のアメリカは、第一次世界大戦を終えたばかり。社会は変化の渦中にあった。
面白いのは、マクレガーが「スポーツウェア」という概念を追求したことだ。1920年代、アメリカではスポーツが大衆化しつつあった。ゴルフ、テニス、ヨット。これらは上流階級の娯楽から、中産階級にも開かれたレクリエーションへと変わっていく。
そこで必要とされたのが、動きやすく、しかも見栄えのする服だった。ドニガーはここに商機を見出した。フォーマルすぎず、ラフすぎない。スポーツの場でも、日常でも着られる。そんな服を作ることが、マクレガーの使命となった。
初期のマクレガーは、ニットウェアを中心に展開した。カーディガン、セーター、ポロシャツ。これらは当時、まだ比較的新しいアイテムだった。特にカーディガンは、イギリス海軍の第7代カーディガン伯爵が考案したとされ、アメリカではまだ普及していなかった。
マクレガーのカーディガンは、品質の高さで評判を得た。ウール素材の選定、編みの密度、ボタンの配置。細部まで配慮された製品は、大学生や若い社会人の支持を集めていく。
1930年代に入ると、マクレガーはさらに製品ラインを拡大。ジャケット、パンツ、シャツへと領域を広げた。そして1940年代、ブランドの歴史に残る名作が誕生する。
マクレガーの哲学 - 「アクティブライフ」という提案
マクレガーが一貫して追求したのは、「アクティブなライフスタイルのための服」だった。これは単なるスポーツウェアとは異なる。スポーツをする時だけでなく、日常生活全体を快適に、活動的に過ごすための服。
この哲学は、素材選びに表れている。マクレガーは天然素材にこだわった。ウール、コットン、そして後にナイロンなどの合成繊維も取り入れるが、常に着心地と機能性のバランスを重視した。
例えば、カーディガンに使われるウール。マクレガーは、肌触りが良く、保温性に優れたメリノウールを好んで使用した。編み方にも工夫がある。適度な厚みと伸縮性を持たせることで、動きやすさと耐久性を両立させた。
ボタンも重要な要素だ。マクレガーのカーディガンのボタンは、ただの装飾ではない。しっかりと縫い付けられ、長年の使用に耐える。そして、デザインとしても美しい。これが「一生モノ」を作る姿勢だ。
1940年代に登場した「ドリズラージャケット」は、マクレガーの技術力を象徴する製品だった。このジャケットは、撥水加工を施したコットン素材を使用し、軽い雨なら弾いてしまう。ドリズラー(Drizzler)という名は、霧雨(drizzle)から来ている。
興味深いのは、このジャケットが単なる雨具ではなかったことだ。スプリングコートとして、タウンウェアとして、多様なシーンで着られる。機能性とスタイルの融合。これがマクレガーの真骨頂だった。
製造においても、マクレガーは妥協しなかった。ニューヨークの自社工場で生産を続け、品質管理を徹底した。大量生産の時代にあっても、職人的な姿勢を保ち続けた。
名作を紐解く - マクレガーの定番アイテム
マクレガーを代表するアイテムといえば、まず「ドリズラージャケット」だろう。1940年代後半に登場したこのジャケットは、アメリカンカジュアルの象徴となった。
ドリズラーの特徴は、その絶妙なバランスにある。薄手のコットン素材に撥水加工を施し、春先や初秋に最適な一着に仕上げた。襟はシンプルなステンカラー。フロントはボタン留めで、ジッパーではない。このクラシックなディテールが、品の良さを醸し出す。
ポケットは斜めに切られたスラッシュポケット。手を入れやすく、実用的だ。裏地はコットンの平織り。サラリとした肌触りで、重ね着にも適している。
1950年代、このジャケットは大学生の定番となった。アイビーリーガーたちは、ドリズラーにボタンダウンシャツ、チノパン、ローファーを合わせた。これが「アイビールック」の基本形の一つだった。
もう一つ、語るべきアイテムがある。「アンチフリーズジャケット」だ。1960年代に登場したこのジャケットは、防寒性に優れた中綿入りのアウターだった。
アンチフリーズ(Anti-Freeze)という名前が面白い。凍結防止、つまり「凍えない」という意味だ。当時、ダウンジャケットはまだ高価で、一般的ではなかった。マクレガーは、手頃な価格で暖かいアウターを提供しようとした。
中綿には化学繊維の綿を使用。ダウンほどではないが、十分な保温性を持つ。表地はナイロン。軽量で、風を通さない。フードは取り外し可能で、シーンに応じて使い分けられる。
このパーカは、大学生やヤングアダルト層に大ヒットした。手頃な価格、機能性、そしてスポーティなデザイン。三拍子揃った製品だった。
そして忘れてはならないのが、マクレガーのカーディガンだ。1920年代の創業当初から作り続けているこのアイテムは、ブランドの原点とも言える。
Vネックカーディガン、ショールカラーカーディガン。様々なバリエーションがあるが、共通するのは品質の高さだ。ウールの選定から編み、仕上げまで、一貫した品質管理。50年前のマクレガーのカーディガンが、今も着られる状態で残っている。これが何よりの証明だろう。
アメリカ文化史の中のマクレガー
マクレガーは、20世紀アメリカのカジュアルファッションの進化と密接に結びついている。特に、アイビーリーグの学生文化との関わりは深い。
1950年代、アメリカの大学キャンパスでは、新しいスタイルが生まれつつあった。イェール、ハーバード、プリンストン。東海岸の名門大学に通う学生たちが着ていた服は、やがて「アイビールック」と呼ばれるようになる。
マクレガーは、このアイビールックの重要なブランドの一つだった。ドリズラージャケット、カーディガン、ボタンダウンシャツ。これらは、ブルックスブラザーズやJ.プレスと並んで、アイビースタイルの定番とされた。
興味深いのは、マクレガーが単なる「お坊ちゃまの服」ではなかったことだ。スポーツウェアとしてのルーツを持つブランドは、より広い層に受け入れられた。価格帯も、ブルックスブラザーズほど高くない。手の届くアイビースタイル。それがマクレガーの魅力だった。
1960年代、日本でもアイビーブームが起きる。VAN Jacketの石津謙介が提唱したアイビースタイルは、日本の若者を熱狂させた。その中で、マクレガーは「本物のアメリカ」として紹介された。特にドリズラージャケットは、日本でも大人気となった。
1970年代以降、マクレガーはよりカジュアルなラインへとシフトしていく。プレッピースタイル、アメリカントラッド。時代の変化に合わせて、ブランドも進化した。
ただ、変わらないものもあった。それは「アクティブなライフスタイルのための服を作る」という姿勢だ。スポーツウェアからスタートしたブランドの DNA は、現代まで受け継がれている。
マクレガーが体現するもの
ニューヨークの小さなニット工場から始まったマクレガー。その100年以上の歴史は、アメリカのカジュアルファッションの変遷そのものだった。
このブランドが作り続けてきたのは、「日常を豊かにする服」だ。スポーツをする時も、街を歩く時も、友人と会う時も。あらゆるシーンで、快適に、そしてスタイリッシュに過ごせる。それがマクレガーの提案だった。
ドリズラージャケットを羽織る時、そこには1940年代からの歴史が宿っている。アイビーリーガーたちが着ていたジャケット。日本のアイビー少年たちが憧れたジャケット。時代を超えて愛される理由は、その普遍的なデザインと確かな品質にある。
マクレガーのカーディガンも同じだ。シンプルで、飽きのこないデザイン。丁寧に編まれたウールは、何年経っても美しい。これが「一生モノ」の意味だ。
アメリカンカジュアルファッションにおいて、マクレガーは「信頼できる定番」という位置を占めている。派手さはないかもしれない。しかし、確実に、長く付き合える。そんなブランドだ。
今、ヴィンテージショップでマクレガーのジャケットを手に取る時、あなたは何を感じるだろうか。タグに刻まれた「McGREGOR」の文字。その下には、アメリカの、そして世界のカジュアルファッションの歴史が眠っている。これが、マクレガーというブランドの本質なのだ。


