【Alden オールデン】ブランド徹底解説

マサチューセッツの工場。職人が一枚の革を手に取る。馬の臀部から取れる、わずか2枚のコードバン。その革から作られる靴は、世界中のシューラバーたちが憧れる存在だ。「Alden」の刻印が入ったそのシューズは、140年以上にわたって、アメリカン・クラシックの頂点に君臨し続けている。
1884年、マサチューセッツ州ミドルバラで生まれたオールデンは、アメリカ最高峰のドレスシューズブランドだ。コードバンという稀少な革、矯正靴から生まれた「モディファイドラスト」、そして妥協のない職人技。それらすべてが、オールデンを特別な存在にしている。
古着屋で1970年代の「990」を見つけた時、そのコードバンの艶に目を奪われる。40年以上経っても、まだ輝いている。今回は、ニューイングランドが育んだシューズメーカーの物語を辿ってみたい。
1884年、ミドルバラ - 矯正靴職人が築いた伝統
1884年、マサチューセッツ州ミドルバラ。チャールズ・H・オールデンという靴職人が、小さな工房を開いた。これがオールデン・シュー・カンパニーの始まりだ。ミドルバラは、ボストンから南に約50キロの小さな町だった。
しかし、この地域は靴産業の中心地だった。マサチューセッツ州は、19世紀から靴製造で知られていた。特にブロックトン、リン、ミドルバラ。これらの町には、多くの靴工場があった。熟練した職人も豊富だった。
チャールズ・H・オールデンは、単なる靴職人ではなかった。彼は矯正靴の専門家だった。当時、足に障害を持つ人々のための特別な靴を作る技術者。医師と協力し、一人一人の足に合わせた靴を作る。これが彼の専門だった。
矯正靴の製作には、高度な技術が必要だった。足の形を正確に測定し、木型を作り、その木型に合わせて革を裁断し、縫い合わせる。そして何度も調整を重ねる。普通の靴作りとは、次元が違った。
この矯正靴の技術が、後のオールデンの強みとなる。足に完璧にフィットする靴を作る技術。これは、健常者向けの靴にも応用できた。いや、応用すべきだった。
1900年代初頭、オールデンは矯正靴だけでなく、一般向けの紳士靴も製造し始めた。しかし、矯正靴で培った技術は忘れなかった。ラスト(木型)の開発に力を入れた。様々な足型に対応するラスト。これがオールデンの特徴となった。
1930年代、オールデンは「モディファイドラスト」を開発した。これは矯正靴の技術を応用した、独特のラストだった。通常のラストより土踏まずのアーチが高く、かかと部分がしっかりホールドする。足の健康を考えた設計だった。
面白いのは、このモディファイドラストが、見た目にも美しかったことだ。アーチの高さが、靴全体のシルエットを優雅にした。機能美。それがオールデンの哲学となった。
第二次世界大戦後、アメリカ経済は成長した。中産階級が拡大し、良質なドレスシューズの需要が高まった。オールデンは、その市場に応えた。しかし大量生産には走らなかった。一足ずつ、丁寧に作る。品質を妥協しない。
1950年代、オールデンは重要な決断をした。コードバンを使った靴の製造に本格的に乗り出したのだ。
オールデンの哲学 - コードバンという選択
オールデンの靴を手に取ると、その革の質に驚く。滑らかで、しっとりしていて、独特の光沢がある。これがコードバンだ。
コードバンとは、馬の臀部から取れる革だ。一頭の馬から、わずか2枚しか取れない。しかも、その部分は厚さわずか2ミリ程度。極めて稀少な革だった。
なぜオールデンは、コードバンにこだわったのか。理由はいくつかある。まず、耐久性。コードバンは、牛革の数倍の強度を持つ。傷がつきにくく、型崩れしにくい。何十年も履ける。
次に、経年変化の美しさ。コードバンは、使い込むほどに独特の艶を増す。「コードバンロール」と呼ばれる、甲の部分に出る細かいシワ。これが、履き主の歩き方を物語る。世界に一つだけの表情が生まれる。
そして、希少性。誰もが持てるわけではない革。それは、ある種のステータスでもあった。
オールデンは、アメリカ唯一のタンナー、ホーウィン社からコードバンを仕入れていた。シカゴにあるこの老舗タンナーは、世界最高品質のコードバンを作っていた。なめしに6ヶ月以上かかる。手間暇を惜しまない製法だった。
製法はグッドイヤーウェルトを採用していた。アッパーとソールを、ウェルトと呼ばれる細い革で縫い合わせる。耐久性があり、ソール交換も可能。一生モノを作る前提だった。
ラストへのこだわりも徹底していた。オールデンは、複数のラストを持っていた。バリーラスト、モディファイドラスト、トゥルーバランスラスト、プラザラスト。それぞれに個性があり、フィット感が異なった。顧客は、自分の足に最も合うラストを選べた。
特にモディファイドラストは、オールデンの象徴だった。土踏まずのアーチが高く、長時間歩いても疲れにくい。そして見た目が美しい。横から見たシルエットが、優雅な曲線を描く。
仕上げも丁寧だった。コードバンは、仕上げによって表情が変わる。オールデンの職人は、一足一足、手作業で磨き上げた。鏡のような光沢。これがオールデンの証だった。
価格は高い。一足7万円から、高級ラインなら15万円を超える。しかし、それは一生モノの価格だった。そして、コードバンの希少性を考えれば、妥当だった。
名作を紐解く - オールデンの定番アイテム
オールデンを代表するアイテムといえば、「990」だろう。1940年代に登場したこのプレーントゥシューズは、ブランドの顔となった。
990の特徴は、そのシンプルさにある。プレーントゥ(つま先に装飾なし)、外羽根式、バリーラスト。装飾は一切ない。しかしその分、革の質、ラストの美しさ、縫製の精密さ。すべてが際立つ。
アッパーはコードバン。バーガンディ(深い赤茶色)が定番だった。この色が、コードバンの艶を最も美しく見せる。ソールはレザー。革底の靴は、通気性があり、履き込むほどに足に馴染む。
990は、アメリカのビジネスマンに支持された。特に弁護士、医師、大学教授。知的職業の人々が選んだ。それは単なる靴ではなく、教養と品格の象徴だった。
もう一つの名作が、「54321(Vチップ)」だ。これは1950年代に登場した、Uチップシューズだった。
54321の特徴は、その汎用性にある。ビジネスにも、カジュアルにも使える。スーツにも、ジーンズにも合う。この懐の深さが、人気の理由だった。
モディファイドラストを使用することが多い。土踏まずのアーチが高く、見た目が優雅。そしてアッパーはコードバン。ブラック、バーガンディ、時にはシガー(タバコ色)。どの色も、経年変化が美しい。
アイビーリーガーたちが、このVチップを好んだ。1950年代から1960年代、東海岸の大学生たち。彼らのスタイルに、オールデンのVチップは欠かせなかった。
「975」も忘れてはならない。これは1960年代に登場した、ロングウィングチップだった。ウィングチップ(W字型の飾り)が、かかとまで伸びているデザイン。アメリカンクラシックの象徴だった。
975は、バリーラストを使用することが多い。やや丸みを帯びたトゥ。これがアメリカらしい、リラックスした雰囲気を醸し出す。コードバンのロングウィングチップ。これは、オールデンの真骨頂だった。
アメリカ文化史の中のオールデン
オールデンは、アメリカ東海岸のアイビーリーグ文化と深く結びついている。そして、アメリカントラッドの象徴となった。
まず語るべきは、アイビーリーグとの関係だ。1950年代から1960年代、東海岸の名門大学。ハーバード、イェール、プリンストン。そこに通う学生たちは、独特のスタイルを持っていた。「アイビールック」だ。
ボタンダウンシャツ、チノパン、ローファー。そして、オールデンのVチップ。これが、アイビーリーガーの定番だった。オールデンは、彼らのアイデンティティの一部だった。
興味深いのは、オールデンが東海岸に根付いていたことだ。マサチューセッツで作られ、ボストンやニューヨークで売られる。地元のブランド。それが、アイビーリーガーたちの支持を集めた理由の一つだった。
1960年代から1970年代、日本でアイビーブームが起きる。VANの石津謙介が紹介したアイビースタイル。その中に、オールデンがあった。日本の若者たちは、本物のアメリカントラッドを求めた。そしてオールデンに辿り着いた。
日本市場は、オールデンにとって重要になった。1980年代以降、日本からの注文が増えた。特にコードバンへの需要が高かった。日本のシューラバーたちは、オールデンの価値を深く理解していた。
ラコタハウス、ブリックス、ユナイテッドアローズ。日本の有力セレクトショップが、オールデンと別注を組んだ。日本市場限定のラスト、限定の革色。これらは、逆にアメリカでも話題となった。
面白いのは、オールデンが日本市場に大きく依存するようになったことだ。2000年代以降、アメリカ国内でのドレスシューズ需要は減少した。カジュアル化が進み、スニーカーが主流になった。しかし日本では、オールデンへの需要は衰えなかった。
オールデンは、日本市場を大切にした。日本向けの特別なサービスを提供した。そして今も、日本のオールデンファンは、世界で最も熱心だと言われている。
ニューヨークのウォール街でも、オールデンは健在だった。金融マンたちは、今もオールデンを選ぶ。それは、アメリカントラッドへの敬意であり、品質への信頼だった。
オールデンが体現するもの
マサチューセッツの小さな町から始まったオールデン。その140年以上の歴史は、アメリカのシューズ文化の最高峰を歩んできた。
このブランドが作り続けてきたのは、「完璧な一足」だった。矯正靴から生まれた技術、コードバンという稀少な革、妥協のない職人技。すべてが、最高の靴を作るためにある。
オールデンの靴を履く時、そこには多層的な物語がある。アイビーリーガーたちが憧れた靴、ウォール街で成功を象徴する靴、そして日本のシューラバーたちが愛してやまない靴。時代を超えて、文化を超えて、選ばれてきた理由がある。
それは、揺るぎない品質だった。流行を追わず、クラシックを守る。コードバンという最高の素材を使い、職人が一足ずつ丁寧に作る。その姿勢が、140年間変わっていない。
コードバンの深い艶。モディファイドラストの優雅な曲線。グッドイヤーウェルトの縫い目。シンプルだが、そこには140年の伝統がある。ミドルバラで生まれ、アイビーリーグで育ち、世界中で愛されるようになった。
今、古着屋で1970年代の990を手に取る。磨き込まれたコードバン。コードバンロールが刻まれた甲。40年以上前の靴が、まだ美しい。ソールを交換すれば、さらに何十年も履ける。これが、オールデンというブランドが体現する価値だ。
アメリカ最高峰のドレスシューズ。その称号は、決して誇張ではない。オールデンは、品質で、伝統で、そして職人技で、その称号を証明し続けている。
マサチューセッツの工場で、今日も職人が靴を作っている。コードバンを裁断し、ラストに合わせて成形し、一針一針縫い上げる。140年前と、基本は変わらない。これが、オールデンの物語なのだ。完璧な一足を作る。その執念を、140年以上持ち続けている。そしてこれからも、持ち続けるだろう。


