【Lee リー】ブランド徹底解説

中西部カンザスで生まれたデニム。ポケットに縫い付けられた「Lee」のラベル。リーバイスと並び称されるこのブランドは、アメリカのワークウェア史において、独自の道を歩んできた。
1889年、H.D.リーによって創業されたこのブランドは、革新者だった。ジッパーフライの採用、ユニオンオール(つなぎ)の開発、そして名作「101」の誕生。リーは常に、労働者の声に耳を傾け、より良い作業着を追求してきた。カウボーイ、農場労働者、そしてロックンローラーたち。様々な人々が、リーのデニムを選んだ。
ヴィンテージショップで1960年代の「101-J」を見つけた時、その色落ちの美しさに息を呑む。半世紀前のデニムジャケットが、今も輝きを放っている。今回は、中西部発のデニムブランドが築いた伝統と、その革新の歴史を辿ってみたい。
1889年、カンザス - 中西部から始まった革新
1889年、カンザス州サライナ。ヘンリー・デイビッド・リーが、食料品や日用品を扱う卸売業を始めた。これがリーの起源だ。H.D.リー・カンパニー。最初は、デニム製品を作るつもりはなかった。
サライナは、カンザス州の中央部に位置する町だった。19世紀後半、この地域は農業と牧畜の中心地だった。小麦畑が広がり、牛が放牧された。そして鉄道の要所でもあった。東西を結ぶ鉄道が、サライナを通っていた。
H.D.リーは鋭いビジネスマンだった。彼は地域の需要を見極めていた。農場労働者、牧場労働者、鉄道員。彼らには、丈夫な作業着が必要だった。しかし当時、そうした衣料品の多くは東海岸から運ばれてきた。輸送費がかかり、価格も高かった。
「ならば、ここで作ればいい」。リーはそう考えた。1911年、彼は自社工場を設立し、ワークウェアの製造を開始した。デニムのオーバーオール、ワークパンツ、ワークシャツ。中西部で、中西部の労働者のための服を作る。
面白いのは、リーが最初から「革新」を意識していたことだ。単に東海岸のブランドを真似るのではなく、より良いものを作る。その姿勢が、数々の発明を生んだ。
1913年、リーは「ユニオンオール」を開発した。これは一体型の作業着、いわゆるつなぎだ。シャツとパンツが一体になっているから、隙間から埃や汚れが入らない。背中も冷えない。農場労働者や機械工に最適だった。
このユニオンオールは大ヒットした。「Lee Union-Alls」というブランド名で販売され、全米に広まった。リーの名前は、この製品とともに知られるようになった。
1920年代、リーはデニムパンツの改良に取り組んだ。当時のワークパンツは、ボタンフライが主流だった。しかしボタンは面倒だ。特に、急いでいる時、手袋をしている時。もっと簡単に開閉できる方法はないか。
リーが注目したのが、ジッパーだった。ジッパー自体は19世紀末に発明されていたが、衣料品への応用はまだ一般的ではなかった。1926年、リーは世界で初めて、ジッパーフライを採用したワークパンツを発売した。
これは革命だった。片手で、一瞬で開閉できる。労働者たちはすぐに、この便利さに気づいた。ジッパーフライは、やがて業界標準となる。リーは、その先駆者だった。
1940年代、もう一つの名作が誕生する。型番「101」。このデニムパンツが、リーの代名詞となる。
リーの哲学 - 労働者の声を形にする
リーの製品を手に取ると、その細部への配慮に気づく。ポケットの位置、ステッチのパターン、リベットの配置。すべてに理由がある。
リーが大切にしたのは、「労働者の声」だった。実際に作業着を着る人々に話を聞き、不満や要望を集める。そして、それを製品に反映させる。この姿勢が、数々の改良を生んだ。
デニムの選定も重要だった。リーは、耐久性と快適性のバランスを追求した。厚すぎれば動きにくい。薄すぎれば破れやすい。リーのデニムは、13オンスから14オンスの範囲。丈夫だが、硬すぎない。この絶妙な重さが、長時間の作業に適していた。
縫製も丁寧だった。特にストレスがかかる部分、股、ポケットの付け根、ベルトループの接合部。これらには銅製のリベットが打たれている。簡単には破れない補強だ。
ポケットの形状も工夫されていた。リーのバックポケットは、やや丸みを帯びた形をしている。これは「スクープポケット」と呼ばれ、手を入れやすい設計だった。そしてポケットの口には、「Leeライダース」のラベルが縫い付けられている。これがブランドの証だ。
色の選択も戦略的だった。リーの定番は、インディゴブルー。しかし濃さには種類があった。深いインディゴから、やや明るいブルーまで。用途や好みに応じて選べる。そして経年変化。リーのデニムは、着用と洗濯を繰り返すことで、独特の色落ちを見せる。
1940年代に登場した「101」は、リーの哲学を体現していた。ストレートレッグ、ジッパーフライ、スクープポケット。そして「Lazy S」と呼ばれる、バックポケットの独特なステッチパターン。これは稲妻のような曲線を描いており、リーのトレードマークとなった。
リーはまた、サイズ展開にも力を入れた。ウエスト、股下、それぞれ複数の選択肢を用意した。あらゆる体型の労働者に対応する。これは当たり前のようで、重要なことだった。体に合わない服は、作業の妨げになる。
価格設定も絶妙だった。リーバイスと同等、あるいはやや手頃な価格。品質を保ちながら、労働者が買える価格。このバランスが、リーの強みだった。
名作を紐解く - リーの定番アイテム
リーを代表するアイテムといえば、まず「101」シリーズだろう。1940年代に登場したこのデニムパンツは、80年近く作り続けられている。
101の特徴は、そのバランスの良さにある。太すぎず、細すぎない。ストレートレッグで、すっきりしたシルエット。ウエストは標準的な高さ。腰骨のやや上あたりで履く。
ジッパーフライは、リーが先駆けて採用した機構だ。ボタンより便利で、耐久性もある。バックポケットには「Lazy S」のステッチ。そして「Lee 101」のラベル。これがブランドの証だ。
色は定番のインディゴブルー。深い藍色が、着用と洗濯を繰り返すことで、徐々に色落ちする。膝、太もも、座面。よく擦れる部分から白くなっていく。この経年変化が、デニムの魅力だ。
ヴィンテージ市場では、1960年代までの101が特に人気だ。この時期のものは、完全にアメリカ製。タグには「Union Made」の文字。職人の誇りが刻まれている。生地も現代のものより厚く、縫製も頑丈。50年以上経っても穿けるのは、この品質のおかげだ。
もう一つの名作が、「101-J」デニムジャケットだ。これは1950年代に登場した、リーの代表的なジャケットだった。
101-Jは、クラシックなデニムジャケットのデザインを踏襲している。胸に二つのフラップポケット、腰に二つのハンドポケット。フロントはボタン留め。襟はポイントカラー。シンプルだが、すべてが機能的だ。
特徴的なのは、袖口のボタンだ。リーの多くのジャケットには、袖口に二つのボタンが付いている。これで袖の締まり具合を調整できる。寒い時はしっかり締め、暑い時は緩める。細かい配慮だが、実用的だ。
101-Jの色落ちは、特に美しいと言われる。インディゴの深い青が、徐々に淡くなっていく。肘、肩、背中。体の動きに沿って、独特のアタリ(色落ちのパターン)が出る。これが、ヴィンテージデニムの醍醐味だ。
「ライダース」ラインも忘れてはならない。これは1940年代に登場した、リーのプレミアムラインだった。カウボーイや牧場労働者を意識したデザイン。より丈夫で、細部にこだわった製品だった。
ライダースのデニムは、通常の101よりやや細身だった。馬に乗る時、だぶついた服は邪魔になる。だから、体にフィットするシルエット。これがライダースの特徴だった。バックポケットの「Lee Riders」ラベルが、その証だ。
アメリカ文化史の中のリー
リーは、アメリカ中西部の労働文化と深く結びついている。そして20世紀半ば以降は、若者文化の象徴ともなった。
まず語るべきは、カウボーイ文化との関係だ。カンザス、オクラホマ、テキサス。これらの州では、牧畜が盛んだった。カウボーイたちは、リーのデニムを穿いた。101、そしてライダース。馬に乗る時も、牧場で働く時も、リーが選ばれた。
農業との結びつきも深い。中西部は、アメリカの穀倉地帯だった。小麦、トウモロコシ、大豆。これらを生産する農場では、リーのワークウェアが定番だった。ユニオンオール、デニムパンツ、ワークシャツ。どれも、農作業に適していた。
第二次世界大戦中、リーは軍に製品を供給した。ユニオンオールは、メカニックや整備兵の作業着として採用された。この時期の軍用リーは、今でもコレクターズアイテムとして人気だ。
戦後、リーは新しい顧客層と出会う。若者だ。1950年代、アメリカの若者たちはデニムをファッションとして着始めた。ジェームス・ディーン、マーロン・ブランド。映画スターたちがデニムを着た。それを見た若者たちも、デニムを選んだ。
リーのデニムは、リーバイスと並んで人気となった。特にライダースは、そのスリムなシルエットが若者に受けた。ロックンローラーたちも、リーを好んだ。エルヴィス・プレスリー、バディ・ホリー。彼らの写真には、リーのデニムが写っている。
1960年代から1970年代、カウンターカルチャーの時代。若者たちは、体制への反抗の象徴としてデニムを着た。ヒッピーたち、ロックミュージシャンたち。彼らにとって、デニムは自由の象徴だった。リーは、そうした文化の一部となった。
1970年代後半から1980年代、日本でリーブームが起きる。アメリカンカジュアルファッションの一環として、リーのデニムが求められた。特にヴィンテージの101、101-Jは、高値で取引された。日本の古着文化が、リーの価値を再発見した。
面白いのは、リーがワークウェアとしてのアイデンティティを保ち続けたことだ。若者に人気が出ても、労働現場でも変わらず着られ続けた。この二つの顔を持つことが、リーの強みとなった。
現在でも、リーのデニムは作り続けられている。101の系譜を継ぐモデルは、今も販売されている。デザインは当時とほぼ変わらない。これが、伝統を守るということだ。
リーが体現するもの
カンザスの小さな町から始まったリー。その130年以上の歴史は、アメリカのワークウェア史、そしてデニム文化の進化そのものだった。
このブランドが作り続けてきたのは、「革新的なワークウェア」だった。ジッパーフライの採用、ユニオンオールの開発、Lazy Sステッチの考案。リーは常に、一歩先を行こうとした。しかし同時に、基本を忘れなかった。丈夫で、機能的で、手頃な価格。
リーのデニムを穿く時、そこには多層的な物語がある。中西部のカウボーイが穿いたデニム。1950年代の若者が憧れたジーンズ。ロックンローラーが纏ったジャケット。そして今、世界中の人々が日常で着るデニム。時代を超えて、文化を超えて、愛され続けてきた理由がある。
それは、誠実な革新だった。ただ新しいだけでなく、本当に役立つ改良。労働者の声を聞き、それを形にする。この姿勢が、リーの製品に込められている。
インディゴブルーのデニム。Lazy Sのステッチ。Lee 101のラベル。シンプルだが、そこには130年の伝統がある。中西部で生まれ、全米に広がり、世界中で愛されるようになった。
今、ヴィンテージショップで1960年代の101-Jを手に取る。深く色落ちしたインディゴ。袖口のボタン。半世紀前のジャケットが、今も美しい。これが、リーというブランドが体現する価値だ。
ワークウェアとして生まれ、ファッションアイテムとしても愛された。その両方で成功したブランドは、リーバイスとリーくらいだろう。革新者であり続けながら、伝統も守る。これが、リーの物語なのだ。中西部の実直さと、革新への情熱。その両方が、リーというブランドを形作っている。


