【コインローファー起源】ノルウェーから始まった伝説  コインローファーが刻んだ90年の歴史

一枚の硬貨が、アイコンを生んだ

1936年、アメリカ・メイン州の靴職人が、一足のスリッポンを世に送り出した。ノルウェーの農夫が履いていたモカシンスタイルのスリッパにヒントを得て、アメリカ流にアレンジしたこの靴は、「ウィージャンズ」と名付けられた。

甲の部分に縫い付けられた革のストラップには、ダイヤモンド型の切れ込みがある。この切れ込みに、アイビーリーグの学生たちが1セント硬貨、ペニー、を挟んで履くことが流行した。お守りとして、あるいは公衆電話用の緊急資金として、あるいは単なるファッションとして。理由は諸説あるが、この習慣が「ペニーローファー」、通称「コインローファー」という名を生んだ。

90年近くの時を経た今も、コインローファーは世界中で愛され続けている。ジョン・F・ケネディ、マイケル・ジャクソン、オードリー・ヘプバーン、数え切れないアイコンたちがこの靴を履き、サブカルチャーから主流文化まで、あらゆる場面で選ばれてきた。その歴史には、アメリカンスピリットと職人の誇りが刻まれている。

G.H.バス社の誕生 ── 1876年から続く伝統

コインローファーの歴史を語る前に、その生みの親であるG.H.バス社について知る必要がある。

1876年、ジョージ・ヘンリー・バスはメイン州ウィルトンで靴作りのビジネスを始めた。彼の信念はシンプルだった。「最高の靴を作る」。ただそれだけだ。1904年、G.H.バス社として正式に法人化された同社は、耐久性と職人技を武器に成長を遂げていく。

バス社が最初に名を馳せたのは、実用靴の分野だった。1913年には林業従事者のための「バス・モカシン・クルーザー」を、1920年代には航空用ブーツを開発。1927年、チャールズ・リンドバーグが世界初の大西洋単独無着陸飛行に成功した際、彼が履いていたのはバス社の飛行ブーツだった。33時間30分29秒という歴史的な飛行を支えたのである。

さらに、探検家リチャード・E・バード提督は3度の南極探検でバス社のブーツを着用し、南北両極点に到達した。ゴルファーのボビー・ジョーンズは、1930年に全ての主要ゴルフ大会を制覇するグランドスラムを達成した際、バス社の「スポートカシン」を履いていた。

バス社は、過酷な環境で働く者、挑戦する者のための靴を作り続けた。その哲学が、1936年の革命的な一足へと繋がっていく。

1936年、ウィージャンズの誕生 ── ノルウェーからの着想

1936年、ジョージ・ヘンリー・バスの息子、ジョン・R・バスはヨーロッパで興味深い靴に出会った。イギリスの上流階級の間で流行していたノルウェー製のスリッパタイプのモカシンである。

このモカシンは、ノルウェーの農夫が「畑でくつろぐため(loafing in the field)」に履いていた靴だった。スリッポンスタイルで脱ぎ履きが容易、柔らかな革で作られ、長時間履いても疲れにくい。イギリスの紳士たちは、ノルウェーに釣りに出かけた際にこの靴を見つけ、ヨーロッパのリゾート地で愛用するようになっていた。やがてこの流行は、アメリカのパームビーチにも伝わった。

しかし、当時この本物のノルウェー製モカシンは、ロンドンの2つの店でしか手に入らず、アメリカには製造業者がいなかった。ジョン・R・バスは、ここにビジネスチャンスを見出した。

バスは、ノルウェーのモカシンをアメリカ流にアレンジした。1876年にジョージ・ヘンリー・バスが開発した「チューブラー・モカシン製法」、一枚の革を足の周りに巻き付け、手縫いで仕上げることで足を包み込む「ハンモック」のような履き心地を実現する技術を応用。そして、甲の部分に革のストラップを配し、中央にダイヤモンド型の切れ込みを入れた。

この靴を、バスは「Weejuns(ウィージャンズ)」と名付けた。「Norwegians(ノルウェー人)」を縮めた遊び心ある呼び名だ。これが、世界初のペニーローファー、コインローファーである。

1950年代、アイビーリーグの象徴へ

ウィージャンズは、瞬く間にアメリカ東海岸の学生たちに受け入れられた。

1950年代、アイビーリーグのキャンパスでは、プレッピースタイルが全盛を迎えていた。ボタンダウンシャツ、カーディガン、カーキチノパン、ニットタイ、そしてオックスブラッド色のペニーローファー。全米屈指の紳士服飾評論家G・ブルース・ボイヤーは、著書の中でこう述べている。「1950年代、アメリカの中流階級の若者で、オックスブラッド色のペニーローファーを持っていない者は、ほとんどいなかった」。

学生たちは、ウィージャンズの切れ込みに1セント硬貨を挟んだ。当初は10セント硬貨(ダイム)を挟んでいたという説もあるが、銅色のペニーの方が茶色い革に映えるため、ペニーが定着した。公衆電話用の緊急資金として2セント分を両足に1枚ずつ忍ばせたという実用的な理由もあれば、単なるファッションステートメントとして、あるいはお守りとして、理由は様々だったが、この習慣が「ペニーローファー」という名前を決定づけた。

文化的アイコンたちの選択

コインローファーは、アイビーリーグのキャンパスを超えて、アメリカ文化全体に浸透していった。

ジェームズ・ディーンは、Tシャツとジーンズ、レザージャケットにウィージャンズを合わせ、反骨的なカジュアルスタイルを確立した。ジョン・F・ケネディ大統領は、政治家としての威厳を保ちながらも、ウィージャンズを愛用した。オードリー・ヘプバーン、グレース・ケリー、ポール・ニューマン、ハリウッドのスターたちも、この靴を選んだ。

そして1982年、決定的な瞬間が訪れる。マイケル・ジャクソンの「スリラー」ミュージックビデオが公開され、そのオープニングシーンで彼が履いていたのが、ブラックのG.H.バス ウィージャンズだった。キング・オブ・ポップの足元に選ばれたことで、ウィージャンズの地位は不動のものとなった。

サブカルチャーが愛したウィージャンズ

興味深いのは、コインローファーがメインストリームだけでなく、あらゆるサブカルチャーにも受け入れられたことだ。

1950年代のモッズ、1970年代のイギリスのルードボーイズ、1980年代イタリアのパニナロス、それぞれが全く異なるアイデンティティを持ちながらも、ウィージャンズを自分たちのスタイルに取り入れた。ロカビリー愛好家、スカファン、ノーザンソウルのダンサーたちも、この靴を選んだ。

その理由は、ウィージャンズのシンプルさにある。装飾を削ぎ落としたデザインは、どんなスタイルにも馴染み、それぞれのサブカルチャーが独自のアイデンティティを投影できた。そして、もう一つの重要な理由、ダンスに最適だったのだ。音楽とダンスはサブカルチャーの原動力であり、軽快で動きやすいウィージャンズは、踊るための完璧な靴だった。

製法の哲学 ── 1876年の技術が今も生きる

驚くべきことに、ウィージャンズの基本的な製法は、1876年にジョージ・ヘンリー・バスが開発した「チューブラー・モカシン製法」のまま変わっていない。

一枚の革を足の周りに巻き付け、手縫いで仕上げる。この製法により、足を包み込む「ハンモック」のような履き心地が生まれる。アウトソールや内部の素材には現代的な改良が加えられているが、靴の核心部分は150年前と同じだ。これこそが、バス社の誇りである。

現代では、チャンキーソールを配した「ウィージャンズ90s」や、よりリラックスした「イージーウィージャンズ」といったバリエーションも展開されている。時代に合わせて進化しながらも、本質は変わらない。それが、ウィージャンズが90年近く愛され続ける理由だ。

まとめ:ノルウェーの農夫からキング・オブ・ポップへ

コインローファーの歴史は、国境を超えた文化の融合である。

ノルウェーの農夫が畑で履いていたモカシン。イギリスの紳士が釣りで見つけた靴。そしてアメリカ・メイン州の職人が、それを完璧な形に昇華させた。1936年に誕生したウィージャンズは、アイビーリーグの学生たちに愛され、ハリウッドスターに選ばれ、世界中のサブカルチャーに受け入れられた。

一枚の硬貨を挟むという小さな習慣が、この靴に「コインローファー」という名前を与えた。シンプルで、機能的で、タイムレス。90年近い歴史を持ちながら、今も色褪せることなく、世界中で履かれ続けている。

コインローファーは、単なる靴ではない。それは、文化を超えて愛される普遍的なデザインであり、職人の誇りであり、アメリカンスピリットの象徴である。ノルウェーの農夫から始まった物語は、今も続いている。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA